猫山猫太のブログ

猫山猫太のつれづれ日記

猫山猫田のゆるゆる日記

今更ながら

猫山猫太です。

今更ながらですが。母は軽度知的障害だったのではないかと思う。思い当たるフシが何個もある。

漢字が書けない
言葉の意味がわからない
金銭管理ができない

それとともに良かった面もあったように思う

繰り返し行動が得意
単純な作業でも自分に合えば長く働ける

母としては、子どもながらに不思議に思う事が沢山あり、とても大変だったように思うが、振り返って
そこの部分の足りなさがありながら、年子の子ども2人を子育てして働いてこれまでいきてきたのだから、なかなかすごいよなと思う。

極端に語彙力が乏しかったり、おそらく国語的意味を理解せず話しているであろうことが何度もあった。

それでも様々我慢しながら、自分なりの処世術を身に着けて生きてきて、しかも障害認定特にされることもなく、生きづらさを纏いながら来たのだから。

夏越の大祓に

猫山猫太です。

夏越の大祓に行ってきました。人形に息を吹いて
半年の汚れを落としてきました。

ついでに手放したいものを書いて、燃やしました。
なんかスーーーッと消えてなくなって行った感じがしました。もう私の近くにはなくなった。

働いていた時に着ていたジャンパーや持って帰ってきたものもすべて捨てた。全くいらないものばかりだった。

職場で7年使ったマグカップも割って捨てたら、何だかむちゃくちゃすっきりした。全部の眼の前からなくなった。


そして、2017年からの貯金残高を振り返ってみたら、
この6年間は本当によく頑張った。

口座に微々たる金額しかなかったのに、コツコツとかなりの金額になっていました。最初の頃は給料もめーっちゃくちゃ安くて苦しかったけど、ここ2年位は賞与も多くなったし、無駄使いもしていなかった。

このお金を投資に回していこうと思います。

この6年の間に資格系は150万以上自己投資してきていましたが、それでもお金はしっかり溜まっていき。

爪に火を灯すようにコツコツと貯めたお金はちゃんと手元に残った。

このお金はわたしの血と汗と涙の結晶だ。
大事にしよう!

記録しておこう②

猫山猫太です。

6月18日木曜に上司にやめる事を相談し、そこから
金、土、日と色々考えて、家族とも相談してください。という事だったので、旦那にも話し、いつでも良いのではということにもなったので、9月末と言っていたが、もう心が持たないので、有給消化含め7月末にさせてもらった。そんな訳で6月23日(火)の出勤を以て終わりにした。めちゃくちゃ急だし、自分でもなんで??という気持もある。でもささやかにやり返してやった。いつもバカにしやがって。もっと苦しめ。びっくりした表情も嘘くさい。情けなんてかける必要もない。

ミーティングの最後に報告をして、簡単に挨拶をして、微妙な空気が流れた。みんな私の事などどうでもいいのであろうし、みな白々しく私と話す時だけ辛気臭い顔を浮かべ、その他は普通に話していた。

前の席に座っていた◯6年同じ職場だったおばさんも微妙な顔を浮かべていた。でも所詮その程度の付き合いだったし、もう会うこともない。

帰りに電車に乗る時に、比較的喋る女性と電車一緒になったが、気まずいのか何も話しかけてこなかった。
うわべの付き合いしか、しないタイプなんだろう。

最後の日に、私がずっと担当していた団体の男性が、もうこの団体を辞めたいと代理人を通じて連絡してきた。

6月18日に起こったトラブルが原因だった。なんか変なものを感じた。あの日前後あまりに沢山の事が起こった。私だけではなく限界を感じるようなターニングポイントになってしまったのかもしれない。

出勤最後の日もその件について、最後まで火消しに奔走した。できることはやった。ちなみに私が辞めるのはこの事が原因ではない。

チクチクとつまらない事を毎日毎日指摘され、自分が無能な様に感じたし、いる意味を問われてしまった。
これまではもっと大変な事があってもなんとか乗り切ってこれてしまっていた。ずっとずっと人間関係なんて最悪だったし、刑務所にいるみたいだった。

酷かった。控えめに言って。みんな誰もが顔色を伺いながら過ごしていた。声の大きい奴にヘコヘコ合わせていてほんと酷い場所だった。一体何人辞めていっただろう。

こんなに酷かった所でよく丸⑥年も頑張った。最初1年持たないだろうなと思っていたし、すぐにでも辞めてやると思っていた。

でもそれでも、夜間の電話相談員もやりながら勉強📚️して、沢山の資格取得したし、本当に我ながら頑張ったと思う。誰かに説明する時にきちんと説明できるんじゃないかって思った。

先月パキンと折れた気持は戻らず、半年前に起こった事も戻りはしないし、でももうあのボランティア団体も何かしらの形で終焉するのではないかと思う。関わる人がみな不幸になっていく。そういう組織は残念ながらある。

そんな最中にずっとネットフリックス契約してみたかったが初めて契約して【地獄に堕ちるわよ】をイッキ見した。なんかこう、クヨクヨしていた気持ちが持ち直す感じを体感した。弱いやつは食い物にされるから、騙される前に騙す。強烈な空腹感は人を強くするのかもしれない。

自分の幼い頃を思い出した。
母は今風に言えばネグレクトで金銭管理能力がなく日々その日暮らしだった。家にはいつもお金が無かった。
家は狭く汚く気の休まる場所なんて無かった。
六畳の部屋に3人で寝ていてそこでご飯も食べていた。ものはすぐになくなり、忘れ物ばかりで家はゴミ屋敷。
お金も無かった。父がもらってきた傘ばかり沢山あった。ゲームセンターで父は働いていて、夜の帰りは遅かった。そんなのも嫌だった。でもよく働いていたと思う。姉は高校を中退し定時制に入り直し、大学夜間部に行った。

現実をまっすぐ見るのは本当にいやだったから、よく私は、チラシの裏に私の部屋、家族の部屋という間取り図を書いていた。部屋が欲しかった。自分だけがゆっくりできる場所が欲しかった。

それでも働き始める様になったら、そんな生活からはやっと抜け出せた。自由になるお金があって、自分だけがゆっくりできる場所もある。

記録しておこう。

猫山猫太です。
2026年6月18日(水)の出来事はターニングポイントなので記録しておこうと思う。ここ半年間に起こった色々を振り返り、またここの所大した事のない失敗すら避ける事が難しくなっていた自分に気づき、すっかり息も出来ないほど苦しくなっていた。夜中に心臓バクバクしたり、へんな汗がでてきたり、気が気じゃないほど、疲れ切っでいた。日々とても忙しく息もつく暇もないほど毎日慌ただしく、それでいてささいなミスも許されない。

気づけぼ毎日チャッピーに相談して、辞めるにはどうしたらいいのかそればかり相談していた。この日ふと、もうやめよう。どこかで言おう。と決めてやっと言えた。誰かのせいにしたりすることなく、自分の体の症状を伝えて、一旦止まりたい。それだけ伝えた。

あっさりと受理されて自分としてはものすごくほっとした疲れてしまった。9月末を目処にやめたいと話したら身体的症状があるのならもっと早くてもよい。と言ってもらえたため、おそらく有給消化含め8月末で離れる事ができるのではないかと言う話になった。

ここに入職して丸6年。辛くなかった日々などほぼ存在せず、悩み多き日々を過ごした。もっと辛かった時期の方がよく考えると長かったんです。理不尽なルールに縛られて意味不明な仕事も多く、泣きながら過ごした日々も長かった。そう思うと今の環境の方が楽なはずなのに耐え難い気持ちになったのはやはりいくつかの見過ごせない事があった。

12月末に利用者にまつわるトラブルがあり、その際問題がクロージングする前にミーティングで吊し上げにされた。その際にどうしてこんな事でみんなの前で晒し者ににするんだ?と課長からも発言もあり、前の局長にも相談した。

そこから半年程経過し、永く関わっていた利用者から職場の総合窓口に私を名指しでこんな事を言われた。という知らせがきた。

その際の対応にもショックを受けた。心がない対応と利用者支援の本質がない対応に、ポキンと折れる音がした。

上辺だけ取り繕う雰囲気にも辟易していた。

以前の出来ないからもうやめたい。みたいな事ではなかった。利用者支援とは何かを考えさせたし、自分も当然良くなかったが、答えのない対応をあなたが悪かったね。でクロージングした。

おそらくこれまでやってこれたのは応援してくれる人がいて、理不尽だけどなんとかやってきた。

ちょっとあまりにも心に堪える事が多く重なった。
ただ、ちょうど資格も取れて夜間電話相談員も終わるタイミングだったのは本当に良かったとおもう。

10年だらりと

猫山猫太です。
きづいたらこのブログも10年経過していました。
2016年も振り返るととても大変な1年だった事を思い返しました。子ども食堂立ち上げに携わって、リーダーに祀り上げられて酷い目に合いました。そのグループとは今は一切交流はありません。コレがきっかけで鬱っぽくなり2017年に会社を退職しました。その後は働いて、勉強してなんとか6年かけて資格を4つ取得しました。
我ながらよく頑張ったと思います。今の職場でも2つ資格持っている人はいない。そして勉強としては
社会福祉主事
ボランティアコーディネーター
キャリアコンサルタント
社会福祉士
精神保健福祉士
の勉強をしてきました。

書いてみると、すごい頑張ったなと思います。
もう悔いはないよなぁ。
この間に夜間の電話相談員もやらせてもらい、
本当に忙しい日々でした。

よくここまで走り続けたなと思います。我ながら偉いっ。この6年間は修行だったなと改めて思う。

もう自分に合う仕事選びにいっても良いのかなと思う。
そうしていこうと思います。

ふっと。

猫山猫太です。

過去のブログを読み返してみたら、この十年間で私はとても変わったんじゃないかなと感じた。
以前は自分目線で動く事も多く、人間関係もその都度リセットしているような節もあった。でも、大学を辞めてからの十年間は今振り返ると学びの多い10年だったなと改めて思う。

病院のコールセンター対応。あれも本当に地獄みたいだった。独立行政。家から遠く、テレワークと戦った。
その後今の職場。最初の3年は本当に地獄で、日々泣きながらいつ辞めようかと思っていた。不思議な事になんとか辞めずに今も続けているし、仕事の内容としては今までの中で一番大変のような気がする。ものすごく多数の連絡調整と確認と利用者相手の先の見えない対応。
しかし、運よく人員増員があったので、やってる仕事も分担する形になったし、担当を離れるチャンスなんじゃないかと思う。
計算して、1年かけて手元から離して他の方に対応お願いしてもよいのではないかと思う。

これまで、ふんわり対応で来てしまったが、もっと警戒心を持って先読みして対応しても良いのかなとも思う。

よく考えると先読みすれば、計画休も取れる。
いつまでも同じ事で慌てないで、段取り作って積み上げて行けば、何も恐くない。

はああ。

2025年も終わりである。

旦那は2018年から働いた会社をまる7年働いた所で
辞める事にした。
私はかなり気を付けて仕事をしてたつもりだったが、
ミスしてしまい、それがメールに残っていた事を指摘された。相手も良くなかったが、そこで慌てて対応したのも良くなかった。

そんなこんなを洗い流そうと、6年振りに縁切り神社へ出向いた。小さい所だが、すごく不思議な場所だ。
みんな真剣に悪縁を捨てに来ている。

私も職場の悪縁を捨てに来た。私の言う事は無視し、
上司に確認しますからと一瞥し、何のフィードバックもなく、事業は私の意見は一切入らず無視されている。
確かに最初の対応は良くなかったと思うが、一緒に働くものとして、協力する姿勢は一切見せず「この人が良くないんです」という報告を上司にし続ける。上司もそれに合わせる。そんな仕事の仕方はないと思う。
自分は外向き対応気をつけてますアピールをして、中ではクソみたいな悪口ばかり垂れ流し、それをみせつけられるのは本当に不愉快だし、それがあたかも正しい対応なのだといわんばかり。
セキュリティポリシーまるで無視のパソコンで個人情報をやり取りし、近隣の人達と個人の携帯でやり取りする。それは正しいらしい。アホみたいなので指摘はしないが、この環境はまずいような気がする。

ただ、ボーナスはきちんと貰えるようになったし、そこは今までの環境とは大きく違う。また、幸いにも上司の業務評価が一切ない環境なので、満額貰える。
良くも悪くも給与はちゃんとしているのは、法人の特性だし、以前いた独立行政は交通費が満額出ないし、給与は上がらないし、色々な限界値があったので、金銭的な納得感と自立感は大きくあるのかもしれない。
ただ、今やっている資格試験に受かれば、もう少し給与水準も上がり、他の環境も視野に入れる事が出来るようだ。ありがたい事に週4回の仕事も結構ある。

今の環境に腐ることなく、上司の言ってる事も自分なりにこなしながら、自分の条件をきちんと良くしていこう。誰か任せにしてても条件よくはならないし、新しい環境に移ればそれなりに大変な事は当たり前にある。

職員移動も4年と決まっているし、それ以上長く働く事はない。ただ、時間が過ぎるのをしっかりまつのもやり過ごし方かもしれない。

問題を混濁させず、粛々と過ごすのもやり過ごし方なのかもしれない。

今指摘されていることについては修正しながら、今まで自分がやってきた事を否定せず、持ち物を必要以上に増やさない工夫をしていきたい。